徳倉海外ルネッサンス
(社内報「友愛」60周年記念号2007年5月掲載)
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(グアテマラ日本人会会報「ククルカン」第18号掲載)
グアテマラ国道7号西線改良・改修工事作業所 林 亨
2003年の7月に、グァテマラの国道工事に赴任して、早いもので丸3年が過ぎました。今年で入社12年目になりますが、同じ地域にこれだけの年月を過ごすのは初めてのことですし、私の人生の中でも、生まれ育った愛知県の豊明市に次ぐ長さとなってしまいました。このグァテマラの地が「第二の故郷」となる日も近いのでしょうか?
(いや既に、そう呼ぶに相応しいかも?!) そんなことが原因かは解かりませんが、
まれに現地の人に道を尋ねられることがあります。日本において日本人がわざわざ外国人に道を尋ねることなどあるのでしょうか? さらに、尋ねられた道を教えられてしまう私自身も、おかしな存在でしょう。
グァテマラ国道7号西線は、グァテマラの北西部を東西に貫く「幹線道路?」です。
日本で言うならば「一桁番国道(例えば国道1号線)」ですから、「一級国道」なのでしょう。まぁグァテマラに国道が何路線あるかは調べていませんので何とも言えませんが、
「7番目」なら一応、一級国道なのでしょう。日本では東海道の1号線から鹿児島の島々を結ぶ57号線までが、国が建設から維持管理までを直轄している、いわゆる「一級国道」だったと思います。
さて実際のグァテマラ国道7号西線は、道路拡幅後の舗装部分の幅員が6m(一部8m)の、日本で言うところの一般県道のような道路です。アスファルト舗装の厚さは5cmですから、道路の構造上では一般の市町村道ぐらいのレベルになってしまいます。
ですが、改良以前の7号線は、乾期は砂ボコリ、雨期になれば土の路面を雨が洗って、
タイヤの小さな車では走行困難と酷いものでしたから、それに比べれば、立派な道路だと思います。
私が現在従事しているのは、キチェ県のチカマン市からサカプラス市を結ぶ44.4kmの区間で、急な坂道や急カーブが続く路線です。標高約1240mのサカプラス市から約12kmで標高2190mの峠のサミットにたどり着きます。標高差950mは、日本でも難所の峠道の碓氷峠(群馬県~長野県)や安房峠(長野県~岐阜県)に相当するでしょうか?
これだけの急な勾配ですから、土の道路ですとタイヤがスリップして坂を上がれない車が多く見られます。こちらの車はタイヤが丸坊主なのは通常ですから。坂を下るのは、もっと怖いです。トラックなどはバランスを崩して横転します。こちらのトラックは危険を承知で積めるだけ積んで走るのが習慣のようなので。日本でしたら免停どころか免許取り消しですな。
こんな山道ですから、運送業者や路線バス業者にとっては、待ちに待った舗装道路でしょう。工事中は道路を一時通行止めにすることで、当初は運転手からの苦情が多く聞かれましたが、工事が進んで道路が整備されるのがわかると、苦情の数も減ってきました。
以前は1時間程度かかった道程を20分足らずで通えるようになるわけですから。
道が良くなれば、燃費も良くなります。原油高高騰の折、これは助かりますな。
さらに、ホコリが立たないのでエンジンは痛まない、タイヤは減らないで、車の所有者にとっては、良いことづくしです。まぁ、またさらに過積載して、車を傷めるのかもしれませんが。
しかし、喜んでばかりいられないのが交通事故ですな。グァテマラの人々は、無謀な運転をする人が多いですから。日本で問題の飲酒運転も日常茶飯事。さらに、沿線の悪ガキどもが、手ごろな広場ができたとばかりに、路上でサッカーを始める始末。
国道の整備と共に、その道路を利用する人々のモラルが問われることに今後なることでしょう。今後の自治体の努力に期待したいですな。
でも、「トゥムロ」を設置するのだけは止めてもらいたいですよ!「トゥムロ」は!
日本では「無駄なモノをつくりやがって!」と何かと肩身の狭い道路工事ですが、ここグァテマラにおいては95%ぐらいの人々には喜ばれているでしょう。喜んでいないのは、拡幅により畑が削られてしまった地主か全く車を利用せずさらに自給自足の生活をしている仙人みたいな人ぐらいでしょうな。
沿線の町を歩いていると、道路が整備されて良かったという声を聞くことがあります。
外国の地で道路工事するのは、材料調達や苦情処理と苦悩の日々の連続ですが、こういった声を聞くときが、何よりの心の慰めになり励みになります。さらに、この地域の人々のために貢献したい気持ちが芽生えます。
果たして、グァテマラは「第二の故郷」と呼べるようになるのでしょうか???
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(グアテマラ日本人会会報「ククルカン」第18号掲載)
グアテマラ国道7号西線改良・改修工事作業所 松田 光司
「マツダサーン、オハヨーゴザイマース。オゲンキデスカー?」
朝の7時、エルビス・アギラールのこの言葉で今日も一日が始まる。彼は180センチ、100キロを遙かに超える大男。握手するときはグリップが強いので少し身構えてしまう。手も大きく、図らずも「フリッツ・フォン・エリックのアイアンクロー」を思い出してしまう。
続いてルベーン・ダリオがやって来た。「トヨタサーン、オハヨーゴザイマース。オウ、ペルドン。マツダサーン。」彼は冗談好きでこのほかにも「ホンダサン」「ニサンサン」バージョンがある。
続いてアクセル・コルドバが来た。「ブエノス・ディアス。リセンシアード。」彼はシャイなのでそれだけだ。握手もなく机に着くとすぐに仕事を始める。
最後にベッツィー・オチョアが入ってきた。「ブエノス・ディアース!マツダサーン!」と言って両手を広げてこちらに近づいてくる。ラテン式の抱擁挨拶だ。最近は、もうすっかりこの挨拶のやり方に慣れた。
2006年7月11日からグアテマラシティーを離れ、現場を主に仕事をするようになった。今まではグアテマラシティーにてカレンダー通りの日程で仕事をし、10勤4休の現場シフトとは明らかに違った。また現地職員もグアテマラシティーの職員はお世辞にも明るいとは言えず、自信の拙いスペイン語も手伝って(?)、単語で会話→沈黙→出来たか確認→沈黙・・・・・・という流れであった。現場常駐の日本人達が自分より上達が早いのを目の当たりにしての焦りもあった。その時、「現場主体の仕事」という話が舞い込んだ。「現場にいたらブロークンやけどスペイン語を話す根性が付く。チャンスや。」という思いと、「グアテマラシティーを離れて寂しいな。現場なんか『ド』田舎やから正直不安や。でもみんな現場で何事も無く働いてるしな・・・。」という思いが自身の頭の中を行ったり来たりした。しかし、仕事なのである。サラリーマンとしては行かなくてはならない。事情を妻に説明し、7月10日の昼、現場所長と共にグアテマラシティーの事務所を出て、チカマン事務所へ出発した。今までとは全く違う勤務シフトと環境へ向かって。
当時の私は、毎月現場には行っていたので現地職員は私の名前も顔も知っていた。しかしほとんどそれだけである。必ず毎月初め頃に1人で領収書をしかめっ面で確認し、ほとんどしゃべらずにまたグアテマラシティーに帰っていく「気難しい東洋人」のイメージしか無かったように思う。でも今日からはそのイメージを払拭していかなければならない、と心に決めたのであった。
当日の朝一番、会う職員1人1人に「今日から現場主体で働きます。机はここです。宜しく。」と言って回った。その時「オー!インヘニエーロ。ムーチョグースト!」とみんなに言われたが、その後に言われたことは全く理解できず、兎に角「シー、シー」としか言わなかったように記憶している。たぶん「ずっといるの?」「隣の工区にも行くの?」位の事を聞いていたかもしれない。「早くスペイン語の能力を付けて、みんなと不自由なく会話をしたい。」その時、心にそう誓った。
それからというもの、仕事中は他2人の日本人職員とはあまり話さないようにして、出来るだけスペイン語しか話さないように心掛けた。そして「これは何て言うの?」「これはどう書くの?」「どうしてこんな様式なの?」等々、自分自身で分かっている事でもワザと質問して会話をした。「なぜなぜ坊や」ならぬ「なぜなぜおじさん」に変身したのであった。(注:「もしもしおじさん」ではない)この時に根気よく私の相手をしてくれたインヘニエロ達と秘書にはかなり感謝している。
話を現在に戻そう。ここからはタイムテーブルとともに書いていく事にする。
7:30~8:00
インヘニエロ達は現場に行く。ここでも「現場に行って来ます。」の挨拶は存在する。黙って出ていく職員は存在しない。握手・抱擁と様々だ。エルビスは「マタアトデ」という日本語を話して出ていく。
8:00~12:00
経理の仕事をゼンジー北京(懐かしい!)の様なスペイン語を駆使して、秘書に指示する。そして秘書がした仕事を確認して、自分のスペイン語の上達ぶりを噛みしめ、少し悦に浸る。それを繰り返す。
12:00~12:45
昼食。基本的には宿舎に帰って自炊。麺類が多い。讃岐うどん・ソバ・素麺・ラーメンから自由に選ぶ。時々昨夜の夕食の残りがオプションで付く。(特に白ご飯が無いときは重宝する)「君の名は」を放映している時は13:00まで延長する。
12:45~17:30
朝の仕事の続き若しくはスペイン語の確認の為の強引なゼンジーなスペイン語会話。電話に出たりして身振り手振り無しでどれだけスペイン語が通じるかの確認作業も行う。そして通じるとまたも悦に浸る。(恍惚の表情を浮かべながら)
17:30~18:30
インヘニエロ達が現場から帰ってくる。ここでも現場から帰ってきた挨拶が存在する。握手や抱擁など様々。エルビスは「マツダサーン、コンバンワ。オゲンキデスカ?」と疲れた顔で挨拶。疲れた割には未だグリップが強い。
18:30~19:30
インヘニエロ達の打合せや自身の仕事の確認など。人が増えたので会話する機会も増える。現場の写真などを見せて貰ったりして「これは何をしてるの?」とか「いつまでに出来るの?」とか言った質問をゼンジーなスペイン語で行う。こちらで先に答えが分かっている事を聞いたりして表現の確認をする。
19:30~
インヘニエロ達、宿舎へ。別れの挨拶もまた存在。挨拶様式は・・・・上記と同様。(ただし握手や抱擁の力は少し強く感じられる)
金庫のお金を合わせてから戸締まり等を確認し、日本人用の宿舎に帰る。
20:00~
夕食(必ずみそ汁が付く。シチューであってもカレーであっても。)を食べ、テレビを見、歓談し、各自の部屋へ。各々電話したり本を読んだり、ゲーム、DVDなどをして風呂に入り就寝。
チカマンという町は小さくて何もない所だが、治安も良くすれ違った人たちが半分以上は挨拶してくる。これはグアテマラシティーにいれば経験できない事ではないかと思う。店の前に大きい銃を持った警備員もいないし、人の顔と町の綺麗さを除けば、日本の田舎に近い感じがする。
今までは首都にいたために本当の真実のグアテマラを体験出来ないでいた。それだけに現在の生活は貴重な経験であり自身の財産であると思う。10年後、20年後の自分自身にきっと役に立つ経験が出来ていると思う。
もし、現場に来る日本人職員がいれば、数ヶ月前までは「大変やな。まあいつでも首都に戻ってきいや。」と言っていたのであろうが、今では「Bienvenido」と間違いなく言うであろう。
何故って?
私にとって現場のある町は「山奥」「陸の孤島」ではなくて、「希望に満ちあふれた、人生にとって宝の山」に見えるのだから。
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(社内報「友愛」2006年秋季号掲載)
ペルー国タララ漁港作業所 山内 真人
海外勤務。入社して6年を過ごし、様々な出来事があった中でもっとも衝撃的でした。
生まれてからずっと生活してきた名古屋から遠いところで仕事がしたいという希望が、海外勤務といった形で実現となりました。
みなさんはペルーがどこにあるかご存知でしょうか。南米大陸の西側、アンデス山脈と太平洋の間に位置します。“空中都市マチュピチュ”や“ナスカの地上絵”などの世界遺産があり、日本でも観光地としては有名だと思います。そのペルーは首都リマより北上すること1,000kmにあるタラーラと呼ばれる町の漁港が建設現場となります。
海外勤務での一番の難関が言語ですが、ペルーはスペイン語が使われます。赴任して3週間が過ぎ、あいさつ程度は出来るようになりました。発音は簡単です。英語のように発音が下手で通じないことはありません。棒読みで分かってもらえることが多いです。ペルーではバイクを改造して人が乗れるような箱をつけたタクシーがたくさんあります。乗車賃は距離やドライバーによって変わりますがとても安く、主要な移動手段となっています。
現場の状況ですが、なによりもまず日本のように機械や工具がありませんので、すべて手で行うことになります。型枠や鉄筋の加工に始まり、生コンクリートもプラントがありませんので、現地でミキサーを使い製造します。基礎を打設するのに何日もかかります。海外での仕事において共通だと思いますが、監理するコンサルタントや一緒に仕事をする現地スタッフの良し悪しによって難易度が随分と変わるでしょう。
まだこれから先が長いですが、いち早く言葉を覚え、頑張りたいと思います。
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(社内報「友愛」2006年秋季号掲載)
海外事業部 風岡 美穂
徳倉建設に入社し、海外事業部へ配属されて今年で2年目になりました。入社してからは本当に時が経つのは早いと感じています。
今まで海外事業部で働いてきて感じていることは、他の部署と異なることが多くあるということです。様々なことが経験でき、学ぶことが多い部署で楽しいことも多くある反面、海外が中心で非常に難しいこともたくさんあります。
まず、毎回の決まった仕事内容が他の部署に比べて少ないことです。配属されて初めの頃は、日々与えられた仕事をこなしていくこと、覚えていくことで精一杯でした。しかし、少し落ち着いてきた時に自分がしている仕事について考えたところ、仕事内容の多くが毎日同じ仕事のくり返しとは思えませんでした。もちろん毎月の仕事や同じ仕事もありますが、それ以外にその時に必要とされたこと、今やらなくてはいけないことを考え、行動していく部署であると今では実感しています。
会社の中での仕事の他に、イベントへの参加や、外へ出る事も多々あります。昨年はマリンバの演奏会や、オアシス21での展示、愛知万博への参加など、本当に様々なことがありました。まだ入社1年目で何もできない私でしたが、それでも自分の所属している部署が様々なことに携わっていることに嬉しく感じていました。
他の部署では経験できないような事も海外事業部ではできるので、多くの事が学べる部署であると思っています。
その他に特徴的な事の1つとして、海外事業部では人の出入りが結構激しい部署であると思います。今思うと、私が海外事業部へ配属された頃は、ちょうど人の出入りのある頃でした。まだ名前も覚えるのに精一杯の頃でしたので、名前を覚えたころには海外へ出発されたりと、海外事業部は大変なところだなと感じたことを覚えています。
今までは、海外への興味は持っていたものの、知識は全くありませんでした。しかし、今まで働いてきた分、知識はほんの少しだけ増えてきていると思っています。
海外事業部へ配属され、初めの頃は海外の知識もほとんどなくやっていけるのだろうかと不安でしたが、今では海外事業部に配属になって本当によかったと思っています。まだ知らないこと、学ばなければいけないことがたくさんありますが、これからも多くの事を学びながら仕事をしていきたいと思っています。
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(社内報「友愛」2006年秋季号掲載)
グアテマラ国道7号西線改良・改修工事作業所 安藤 久徳
早くもグアテマラに来て4ヶ月が経過して、少しずつ言葉にも慣れ充実した日々を送っています。来た当初は言葉も喋れないので、どうなることかと思いましたが、先輩方の手助けもあり何とかやってこられました。日本に比べ不自由することは多かったですが、住めば都とはよく言ったもので気候も穏やかで過ごしやすい環境です。
私が現在従事している現場は、グアテマラのアルタベラバス県~キチェ県~ウエウエテナンゴ県を結ぶ国道7号西線の第2工区44.4kmを改良する工事です。工区の大半は山間部にあり、急カーブやアップダウンが続く道路です。当初未舗装であったこの道路を拡幅し舗装するというものです。以前は車が通ると砂埃が舞い、その度に顔を覆わないといけない上、雨が降れば土砂崩れで通行止めになるなど、日本では考えられないほど道路環境が悪く、工事の必要性をひしひしと感じました。この道路ができれば、物流もよくなる上、救急車等の緊急車両もより早く駆けつける事ができ、生活レベルが格段と向上すると思います。
この現場は図面がほとんどなく、問題があれば現地で打ち合わせをして指示書をもらい、施工をするという形式で、日本のように図面どおりに仕事をすることができません。どこに何をどのように造ればいいのかという技術的な問題に加え、スペイン語による指示を理解することと、作業員にスペイン語で指示を伝えることという言葉の問題、この2つの問題を解決する知識が必要となります。まだまだそのどちらもままならないので猛勉強中です。
この国の不便なことを書くと切りがありませんが、いい所を挙げますと、何よりも人々が元気で温かいです。日本と比べて貧しい暮らしをしている人が大多数ですが、いつも笑顔で居て、朝から気持ちいい挨拶を交わしてくれます。そこは日本も学ぶべき事だと思います。
私は、グアテマラは大好きです。今後の徳倉はもっと海外で仕事をする機会が増えると思うので、思い切って海外で仕事をするのもいいと思います。多少は不便をしますが、それを十分に補うほどの経験は確実に得られます。私は海外赴任という選択をして良かったと本気で思います。
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(グアテマラ日本人会会誌「ククルカン」2006年新年号掲載)
グアテマラ事務所 荒金 孝
昨年は日本・グアテマラ気象連動説を華々しく披露させていただきましたので、今年は日本語スペイン語起源説を開陳したいと思います。作家の清水なんとかが日本語英語起源説という本を書いています。
この本にどういうことを書いているかというと、例えば「溺れるものはワラをも掴む」ということわざがありますが、アメリカでは水のことをワラと言います。誰もウォーターなんて言いません。
犬小屋はケン(犬)ネル(寝る)、坊やはボーイ、穴はホール(掘る)で、竹取物語はTAKE(取り)で、辞書は「字引く書なり」ともう完全に日本語が英語の起源だということがみごとに証明されています。
私は、ひそかにスペイン語も日本語が起源ではないかと長年研究を続けています。
まず、スペイン語では自分のことをyo(余)っていいますよね。日本と一緒です。えーっと、ひっくり返るは「ひっくりcaer」で、人の持っている物を無理矢理取ると「ダメ (dame)」・・・
そうそう思い出しました、おしゃべりをして油売るのはhablarだし、天井はテッチョ、床はピ・・・えー、床は置いといて、よく車をバックしていると助手席のグアテマラ人から「デレ、出れ」と言われます。余り詳しくは知らないけどおっぱいのことをチチって言います。avenidaは車がたくさん走っているのでアブネーナ。これはちょっと横道に逸れてしまったけれど・・
また子供の頃、いたずらをして隣のおじさんに「コラッ」と怒られて、「走って(corra)」逃げた経験があります。
本当に長年の研究なのでもう忘れかけていますが・・またあまりに膨大な資料なので、その中から一般の人にもわかりやすい事例を抽出するのがどんなに難しいことであるかということは容易に理解していただけると思います。
日本では人前で何か失敗をしてあまりに恥ずかしいと感じたとき、よく「穴があったら入りたい」と表現しますが、スペイン語では「traga me tierra」と言います。これがなぜ関係があるのかと言われるかもしれませんが、要するに人間の考えること、というか感じることは、どこの言語の世界でも同じなんだなと、人間のやることはそんなに違いがあるわけではない。どこの世界でも、どの時代でもと・・そう思うこの頃です。
以上。
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【半田商工会議所「カイギショ ゲッポウ」2005年3月号掲載】
徳倉建設株式会社
代表取締役社長 徳倉 正晴
「愛・地球博」フレンドシップ事業で、半田市がグアテマラ共和国のホストシティとなりました。当社にとって関係の深い、半田市とグアテマラ共和国が友好関係を結んだことは、当社には偶然とは思えませんでした。
当社と半田市の関係は、今から30年も前の昭和49年、先代の故・徳倉正志会長が本誌に寄せた手記で触れております。当社の半田進出は、昭和25年秋同市で行われた第5回国民体育大会卓球競技会場の体育館(現在は取り払われ、市役所ができている)の建築に始まります。そして愛知用水事業、伊勢湾台風の災害復旧事業、さらに、昭和39年には衣浦臨海工業地帯十三号地の埋め立て分譲を行いました。それ以降も中部建築賞を受賞した東海銀行半田寮など、この地に数々の作品を現在も多数残しています。
故・徳倉正志会長は、生前、「生まれは一色町、仕事の面では半田育ち」とも述べていました。
一方、グアテマラとの関係は、奇しくも、衣浦臨海工業地帯十三号地の埋立事業に取り組んだ頃、グアテマラでのプロジェクトに参画しないかとの誘いがあり現地で調査を行っておりました。その時は、埋立事業に専念するためお断りしたのですが、平成12年に、日本の経済協力プロジェクトであった道路工事入札に参加し、受注しました。
グアテマラ共和国は、中米(メキシコの南)に位置し、面積は108,889平方km(北海道と四国を足したくらい)、人口は1,188万人(東京1,221万人と同じくらい)で、人種は、先住民が45%、ヨーロッパ系が2%、混血が52%となっています。GNPの1/4を、輸出の2/3を農業が占め、労働人口の半分が従事しているそうです。主な産品は、コーヒー、砂糖、バナナです。公用語は、スペイン語で、宗教はカトリック。4世紀から7世紀にかけマヤ文明の中心地として栄え、16世紀から19世紀にスペインの植民地となり、1821年に独立を果たしました。建国後の歴史も、革命、クーデター、非民主主義政権、米国からの様々な内政干渉に彩られました。しかし、1985年以降は民主的な選挙が行われています。
当社が行っている工事は、太平洋から大西洋に、国を東西に横断する道路の一部、山間の54kmを拡幅し、アスファルト舗装を施すものです。工事環境は厳しく、雨にも悩まされましたが、完工間近までこぎ着けました。グアテマラ政府からは、当社の施工能力、品質が認められ、さらに続く46kmの区間を施工してもらいたいとの依頼があり、現在、着工準備中です。
この道路が舗装されることを、地域住民は何十年も待っていたもので、彼らの喜ぶ姿を見ると、過酷な工事で苦労した現地の当社職員も、半田市に対する先代の故・徳倉正志と同じ思いにひたれるのです。
当社の社是「友愛」を、仕事を通じて実践した半田市とグアテマラ共和国。その両者の友好関係に、当社としても少しでもお役に立てれば、と考えています。
(完)
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(グアテマラ日本人会会誌「ククルカン」2005年末掲載)
グアテマラ事務所 荒金 孝
今日も、事務所の庭に放し飼いにしてあるうさぎ達が「濡れネズミ」じゃないけど、雨に打たれてずぶ濡れになっています。庭と言っても6m2くらいの小さな庭です。ここに2年くらい前からうさぎを飼っています。何故うさぎを飼う事を思いついたかというと、その頃庭一面に芝生が生えていました。この芝が雨期になるとどんどん伸びて来ます。最初芝刈り用のハサミを買って来て、ジョキジョキやっていましたがあまりにも雨が多いので伸びる速度に負けてしまいます。そこで考えたのが牛のような草食動物でも飼って芝を食べさせれば、芝を刈らなくても済むだろうと、でも6m2の庭には牛は大きすぎるので、うさぎくらいが適当だろうということになりました。
そこでオランダ種のロップイヤーという耳の垂れたうさぎを買ってきました。初めは雄うさぎ一匹を飼い始め、何ヶ月か経って、ひとりぼっちで寂しいだろうと、雌ウサギをもう一匹増やしました。
草刈りの方はと言うと、これは効果てきめんでした。あっという間に芝を食いつくし、脇に植えてあった観葉植物もすべて根こそぎやられ、今じゃ土の面だけの庭になってしまいました。芝なんて少しでも芽が出ようものなら即時に噛み切られてしまいます。
その後は、それまで雄一匹だと草を食べるだけで何もしなかったのが、雌は庭のあちらこちらにトンネルを掘り始めました。どんどん土を自分の後ろの方に掻き出すと、次は方向を変えて前足を2本揃えて溜まった土を押し出します。この要領でどんどん堀り続けます。雄も始めは何だか分からなかったけれど、そのうち雌を手伝い始め二人してとうとう愛の巣を作ってしまいました。
家を造ってからは、そりゃもう激しい激しい、何が?って、そのォ~ 自然の営みですね。バニーガールの発想はこの辺りから来ているのでしょうか? 兎に角、2年間で8回くらいお産があって、毎回8匹くらい産んだかな。8x8=64匹、そうそう、うさぎは一匹じゃなく一羽でしたね。(すみません、上の文章の「匹」を「羽」に置き代えて読んで下さい。)
うさぎは何故、一羽、二羽って数えるかというと昔は獣の肉は食べないという風習がありましたが、鳥肉ならOKということで、うさぎも「鵜(う)」と「鷺(さぎ)」で、両方鳥だから問題なし。それで一羽、二羽と数えたらしいです。
(父親はフェルナンド、母親(手前)はアレキサンドラ)
それから「二兎を追うもの一兎も得ず」というのも本当ですね。庭に面したガラス戸を開けるとそのうさぎ達がどどっと事務所の中に入ってきます。こりゃ大変、それっと捕まえようとして二兎を追ってもそれぞれが違う方向に走り出すものだから一兎も捕まえられません。そんな時、汗を拭きながらフトこのことわざを思い出します。
そうそうグアテマラの雨でした。2年前からここグアテマラのウエウエテナンゴ市の近くで道路工事を施工しています。私達、建設業に従事する者にとって雨は本当に憎たらしいものです。特に盛り土作業には非常な障害となります。
道路を造る際には、よく盛り土と言って、低い箇所に土を盛って平坦な面を造らなくて はならず、その土を盛る時に転圧して締め固めなくてはなりません。その時使用する土によって最も適した量の水分を含んだ状態で締め固めると強くなります。しかし、水分が多すぎると土が倦んだ状態になって転圧そのものが出来なくなります。雨が多く降るとその水分過多の状態になるために作業が出来なくなるのです。1日だけ降って、その他の日は降らなければ1日作業を休めば済むことです。しかしこの1ヶ月のガテマラのように毎日雨が降るようでは何日も作業が出来ないわけです。ここで「土方殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の3日も降りゃ・・・」という言い回しが、その通りだなぁと思えてくるのです。
そういう訳で、この雨を心配して毎日天気図を見るのが習慣になります。幸い今はインターネットという便利なものがあるので、毎日の雲の様子が手に取るように分かります。
そうすると、意外な事実が分かってきました。気象専門家にとっては意外でも何でも無いのかもしれませんが・・・ グアテマラと日本の雨の期間が非常に似ていることに気が付きました。例えば、日本は6月が梅雨で9,10月と台風のシーズンです。グアテマラもそうですよね。今年は特にこの台風が多かったですね。この原稿を書いている今も超大型の23号が日本に上陸しようとしています。ここカリブの島々も今年はイバンだのカールだのと沢山のハリケーンに襲われました。この長い雨期ももうすぐ終わりですが、きっと日本の空が秋晴れにならないとグアテマラにも乾期は訪れないはずです。
(10月21日の天気図です)
このように我々は、日頃雨を恨めしく思い、毎日空を見上げ、雨期が終わるのを心待ちにしています。ゴルフ場の状態も良くなることだし・・・と、しかし、建設業でもゴルフが好きでもない方々にとってグアテマラの雨はどうなんでしょう?たぶん樹木にとっては恵みの雨だし、紫陽花もきれいに咲いてなかなか風情のあるものだと思っておられるかもしれない。
そう思うと我々の苦悩は単なる他人事になりますから、人それぞれ環境の違いや事情の違いによって全てのことの受け取り方が違ってくるので面白いものですね。
そういう訳で・・ってどういう訳か分かりませんが、今、子うさぎが8羽います。この子達が飛んで行かない内に、うさぎの欲しい方は当方に連絡してください。
(完)
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(2005年7月7日中日経済新聞掲載)
徳倉建設株式会社 グアテマラ工事事務所
所長 荒金 孝
毎朝、事務所で最初に、マヤ文明の香りがするグアテマラコーヒーを飲みます。日本でも品質の良さが認知されているブランドですから、芳香も味も申し分ありません。弊社は約30年前に南米に進出し、エクアドルから、ペルー、ブラジル、ボリビアと工事を行い、2002年から中米のグアテマラで道路工事を行っています。
中米の国々はどの国も比較的小さな国で日本の北海道ぐらいの面積しかなく、なかなか国の名前と位置が一致しないでしょう。メキシコのすぐ南にあるグアテマラ国、その中部山岳地帯で道路を建設しています。地域の住民は先住民族(インディヘナ)が90%以上を占めています。ノーベル平和賞のリゴベルタ・メンチュウさんの出身地でもあります。36年続いた左翼ゲリラとの内戦は、リゴベルダさんの和平活動が実を結んで、1996年に終結しました。
内戦が最も活発であったため、長年、開発が遅れていた地域の道路建設です。貧困地域の生活環境の向上、農産物の円滑な物流による地域社会経済の発展に寄与するために、日本のODAで行われているプロジェクトです。
施工前に現地で感じたことは、地域住民がこの道路の拡幅、舗装を長年待ち続けていたことでした。車が走ると、土埃がもうもうと舞い上がり、道行く人々は埃を頭から被りながらも我慢して歩いていました。現在その道路も全面舗装され、もう埃が立たないというその1点だけでも、本当に生活環境向上に役立ったと実感できます。当然、道路の改良により、交通の便が飛躍的に良くなり、近隣地域から、人と物の流入も増加して、主目的だった町の発展にも大いに寄与しています。
この5月に、54km区間の開通式が行われました。式典に出席された大統領の言葉にもありましたが、「現地住民の喜びの笑顔」を糧にして、更なる100kmの道路建設を継続して行きます。
(完)
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